近代の物語

神話や昔話のなかに登場する鍵について紹介してきました。
鍵は主婦の権利を表していたり、富の象徴だとされてきました。

近代の物語のなかでもこのような象徴として印象的に鍵が描かれる物語があります。
ノルウェーを代表する劇作家、イプセンの「人形の家」でこのような場面があります。
ヒロインのノラがこのように語るのです

”「そう、これでなにもかもが終わりました。鍵はここにおいておきます。家事のことは女中がよく心得ていますわ――わたしよりずっとよく。明日、わたしが発ったあとでクリスティーネさんが来て、わたしが家から持ってきたものを荷造りしてくれると思います。あとから送るようにお頼みしておきますわ」”

これは女性開放の物語です。主人公のノラはこのように言い放って夫も子供も捨てて家を出て行くのです。
父から人形っ子と呼ばれて育てられ夫からも人形妻として愛されてきたノラはそんな自分に我慢ができなくなったのです。男から可愛がられるだけの人生をすて、たった一人の女性として生きていこうとする物語です。

この物語でも鍵を置いていくことで家事や妻という立場を譲り渡すことが象徴されています。
家庭の象徴である鍵を捨てることで家という支配から脱出するのです。

同じように、ロシアの戯曲、チェーホフの「桜の園」でも鍵の束が主婦の象徴とされています。アーニャは鍵束を腰につけています。これはヨーロッパでも主婦の象徴とされていました。作品の中盤あたりでトロフィーモフという大学生がアーニャに対して「もしあなたが家政の鍵をあずかっているのなら、それを井戸のなかへぶちこんで、でてらっしゃい。そして自由になるんです、風の様にね。」と語ります。
これも、主婦という立場からの開放ということを表した表現となっています。